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嘉義線 (台湾糖業鉄道) : ウィキペディア日本語版 | 北港線[ほっこうせん]
北港線(ほっこうせん)は、台湾嘉義市の嘉義駅から雲林県北港鎮の北港駅を経由して雲林県虎尾鎮の虎尾駅を結んでいた台湾糖業公司虎尾糖廠及び北港糖廠が経営していた軽便鉄道である。本路線は台湾糖業鉄道で最も業績が良く、嘉義 - 北港間は最後まで営業を行っていた。 == 概要 == 定期営業線としての北港線は、その他の糖業鉄道と同様に事実上数個の路線が加わって形成されていた。その中の嘉義 - 北港間は嘉義線、虎尾 - 北港間は北港線と称した。官方資料及び時刻表では両者を合わせて北港線としており〔『交通年鑑』民國71年度前各版本,交通部交通研究所編〕、かつて嘉義~虎尾間の直通列車も存在した。 この両路線は日本統治時代の1911年(明治44年)に開通した。当時、大日本製糖は五間厝(後に虎尾と改称) - 北港間を開通させ、東洋製糖は北港 - 嘉義間を開通させた。但し、二つの製糖会社は別会社だったので、各々が北港に駅を設けて路線は接続していなかった。1927年(昭和2年)に東洋製糖が大日本製糖に合併され、それ以降路線が整備されて北港駅も一つになった。1942年(昭和17年)、北港=湾仔内間の北港溪鉄橋は水害により損傷、直後に通りかかった列車とともに崩落し十余名が死亡する大惨事となった。そのあと、仮北港臨時乗降場(戦後は南北港に改称)を開業し、ターミナル駅となった。 1945年、戦後に(台湾にあった)日本の(製糖)資産は台湾糖業に接収された。1951年、北港渓橋(現・復興鉄橋)復旧。台湾糖業は元あった路線を継承して、嘉義 - 虎尾間の直通列車を運行した。当時北港への媽祖参拝が熱烈だったので、糖業鉄道で珍しい対号列車を運行した。この列車は途中新港駅のみに停車した。 1960年代の全盛期には北港 - 嘉義間で毎日五、六千人の乗客があり〔憶一段糖鐵史─日治時期雲嘉地區的糖鐵驛站 ,台糖通訊98年1月1963號〕、1日に22往復(祭り日32往復)の列車を運行した〔北港糖廠(笨港小館) 〕。但し道路交通が発達した後は(旅客が減少して)1972年に虎尾 - 北港間の旅客輸送を停止し、1980年には北港 - 嘉義間は僅か1日3往復であった〔『台湾鉄路千公里』,1980年,宮脇俊三,角川書店 ISBN 4-04-159802-8-C0195 〕。1982年には全線の旅客輸送が終了し、ここに糖業鉄道の定期営業線は歴史の仲間入りをした。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「北港線」の詳細全文を読む
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